1. 猫を抱いて象と泳ぐ
不思議な世界観と優しく繊細な文体で人気を博す純文学作家、小川洋子さんの作品。小川さんの個性が前面に押し出されており、ファンの間で評価が高いことも頷けます。
しかし、そこが却って普遍性を損なっているような、万民への説得力に欠けているような作品だったと思います。
2. あらすじ
生まれつき唇の上下がくっついていたために、手術により切開し、脛の皮膚を唇に移植した少年。そのため、少年の唇には成長と共に産毛が生えてくるようになってきていた。
学校にも上手く馴染めない少年を惹きつけたのはチェスという競技。廃バスの中で生活するマスターにチェスを教わり、少年はぐんぐんと腕前を上げていく。
そんな少年を変えたのはマスターの死だった。肥満しきった不健康な身体でバスの中を狭苦しそうに生活していたマスター。それは、少年が幼少期に出会ったインディラという象を思い出させる。デパートの屋上で見世物となっていたインディラは成長とともに身体が大きくなり、デパートの屋上から降ろすことができなくなってしまっていたのだ。
少年は「大きくなること」に絶望し、身体の成長を止めてしまう。それは、チェス盤の下に籠って思考し、詩のような譜面を生み出す彼のチェススタイルとも合致していた。少年の新たな活躍の場は「パシフィック海底チェスクラブ」。駒を動かすことができるからくり人形の下に潜り込み、じっと息を潜めてチェスを指す少年。
彼の前には様々な対局者たちと、少年と心を通わせようとする人物たちが現れる......。
3. 感想
「小川ワールドの到達点を示す傑作」と表紙裏に書かれているだけあって、非現実性が強調された世界です。小川洋子さんの手によるノスタルジックでファンタジックな文章は確かに繊細で美しいものといえるでしょう。
しかし、ストーリーやそれを支える登場人物は魅力に欠けます。あらゆる成長や挑戦を拒否してひたすら盤下に籠り続ける主人公の少年の人生は完全に行き当たりばったりで流され続けるまま。それが繰り返されて終わるだけです。そこにある苦悩も、滲み出てはきますが物語に面白さを与えているわけではありません。
登場人物も極端な人物造形の者が多く、小川さんなりの「善」「悪」があまりにもはっきりとしすぎていて、短絡的なエンターテイメントとは一線を画した雰囲気が魅力の本作の中で浮いています。二項対立に囚われることなく、その間をすっと抜けていったり、その上を鮮やかに飛び越えるような、そんな価値の逆転や異視点がありません。短絡的にはしないぞという物語造形であるのに、登場人物たちは俗っぽすぎる印象です。
全体としては「博士の愛した数式」に劣ってしまうでしょう。
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